職歴の嘘はバレるのだろうか? バレないのだろうか? しちめんどくさい議論を避けて結論を言えば、ほぼバレないと言い切ることができる。
仮に採用試験100連敗中で、いままさに絶望の淵に立ち、自死さえ考えている求職者がいたら、1つの解決策として、経歴の書き換えを遂行するのが得策だろう。
正直者が馬鹿を見るのは残念ながら真理だが、馬鹿正直な人間が不幸になって良いわけがない。「経歴詐称」とは何か? バレない理由とは何か? そもそも「詐称」などという行為は本質的には存在しない理由を解説する。
履歴書の嘘はバレない
はじめに言いたい点は次の3つだ。誰も正直に言わず、ネットでヒットするくだらない正論を駆逐するためにも断言しておきたい。
- 履歴書の嘘はほぼバレない
- 職歴の書き換えは「詐称」ではない
- 嘘は世の中にあふれている
履歴書の嘘はほぼバレない
転職活動がうまくいかないと、メンタルが落ち込み、自暴自棄になり、意気消沈し、ストレス発散するために散財したり暴飲暴食したりして、結果的に心身および財布に大打撃を負い、従前よりもさらに最悪な状況に陥って絶望するといった経験をしたことがある求職者は多いだろう。
そんなとき、打開策の1つとして有効なのが職歴の書き換えだ。履歴書の嘘はバレると言われているが、基本的にはバレない。
これを読んでいる人の半数以上がきっと職歴詐称経験者だろう。バレないことは当人が一番知っている。職歴に手を加えることはすなわち、転職活動における「基本的なたしなみ」であり、「処世術」でもある。
仮に会社内で、「職歴詐称してる人は手を挙げてください。今なら免罪します」というアンケートを実施した場合、おそらく大部分の社員はここぞとばかりに挙手することになるだろう。会社には職歴詐称経験者があふれているというのは、誰も指摘しない事実である。
私に関して言えば、現在は自営業者なので詐称もへったくれもない立場だが、会社員時代に基本的に経歴は書き換えていた。最初に入った会社を4日で退職してしまったため、以後転職活動するときに、この早期退職が履歴書の「傷」になった。入った会社をすぐに辞める若者というレッテルを貼られて、面接に通らないことも幾度もあった(その後も何度も会社を短期間で辞めたので、「レッテル」ではなかったのだが……)。
私が職歴を書き換えたのはいつからだったろうか。今は遠い昔なので正確には覚えていないが、5社目あたりから、不要な職歴を削除し、前後に勤めた会社の在籍年数を延ばした。いわゆる「間引き」というテクニックである。
以後、フリーランスになるまでに合計10社の企業に勤めたが、ほぼすべてで私は独自に作成した経歴書を企業に提出した。そして複数社に入社し、もちろん、経歴の書き換えがバレたことはない。
よく職歴をいじるとバレるというがそれは嘘である。バレる原因には下記が挙げられるが、そのどれもが普通に対処すれば、簡単にクリアできる類いのものである。
- 年末調整(源泉徴収票)……会社に提出するのは「源泉徴収票」。前職を偽った場合、本来得ているはずの収入と税額に齟齬が生まれ、嘘が露見することになる。逆に言えば、前職を偽らなければまったく問題ない。
- 雇用保険……会社に提出するのは「雇用保険被保険者証」。ここに被保険者番号、前職の社名や入社日が記載されている。つまり、前職を偽らなければ全く問題ないということ。さらに、会社に知らせるのは「被保険者番号」なので、番号だけ通達すれば良いケースがある。その場合は、前職の虚偽も全く露見しない。
- 年金手帳……会社に提出するのは「年金手帳」。そこに記載されている国民年金の加入・脱退履歴を追われると、転職履歴もまた相手に知られることになる。ただし、年金番号だけ会社に通知すればいいケースもある。その場合は全く問題ない。さらに、手帳をなくしたことにして、役所に白紙の手帳を再発行してもらえば万事問題なし。私は過去に白紙の手帳を発行してもらうために役所に出向いたが、後ろめたくて照れくさくて「白紙で」と言えなかった。しかし再発行された手帳は加入履歴などがすべて白紙(履歴未記載)で、結果的に万事うまくいった。
- ※2022年4月に年金手帳は廃止される。その場合、年金記録から事実が露見する可能性は著しく低下することが予想される。ただし、新たに発行される「基礎年金番号通知書」がどのような形式かによって、話が変わってくる。「通知書」にすべての加入履歴が記載されていたら、万事休す。出所:厚生労働省「年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する法律の概要」
「年末調整」「雇用保険」「年金手帳」といった「バレる原因TOP3」は、実は普通に対処すればバレる要因になり得ない。
それよりも、自分からしゃべってしまう、スキル不足で役立たずと罵られて経歴が暴かれる(自白を強要される)など、身も蓋もない理由がもとで嘘が露見する場合もあるだろう。これについては、私の関知するところではない。
職歴の書き換えは「詐称」ではない
職歴を書き換えるとき、無論、私にも逡巡はあった。職歴詐称が法に抵触することはほぼない。私文書偽造にも公文書偽造にもならない。詐欺にもならない(ただし、免許証、保険証、医師免許などの偽造はもちろんアウト。MBAを持っていますという嘘もアウト)。
逡巡した理由は道義的なものである。つまり「嘘をついてもいいのか」といった至極まっとうな疑問である。基本的に嘘をついてはいけない。
20代のころ、仕事が決まらずに自暴自棄になっていたとき、職歴を「綺麗」にすれば転職先が決まるはずだと、思い悩んだ時期があった。そのとき、最終的に案出した解決策が、「嘘ではなく、創作ならば赦されるのではないか」ということだった。
どういうことか? つまり、履歴書なり職務経歴書とは、いわば一個の作品である。人事担当者に「私とは何か」を知らせる作品である。経歴書とは創作物なのである。事実だけを抜き出したところで、本当の私をお知らせできるとは限らない。そこには脚色や作文、独自の見解、自分なりの解釈を加える余地があるはずだ。もちろん、学歴詐称や勤めていない会社に勤めたなどといった、大嘘は論外である。免許や資格を偽るのは犯罪である。
しかし経歴の「間引き」はたしなみであり、処世術である。半年しか勤めなかった会社を1年勤めた、2ヵ月の試用期間で辞めた会社はそもそも入社しなかったことにした、などは誰も傷つかず、誰も陥れない。ただ単に、作品が綺麗になる。作品とは履歴であり職歴である。創作物を拵える上では、それが豊かになるか、奥行きが広がるか、解釈が新説か、独自か、彩りはどうか、うれしいか楽しいか、幸せかなど多角的な視座が必要だ。経歴書とは芸術なのである。
法に抵触しない限りにおいては、独自のルールに沿った創作が赦されるのである。
しかし会社側はどうだろうか?会社は被害者になり得ないだろうか。もちろん、医者、弁護士、MBA、公務員など専門性の高いもしくは免許・資格などが必要なケースでは、経歴詐称は犯罪行為である。企業に大きな損害を及ぼすことは詐欺罪に直結するかもしれない。
またやったこともない仕事を職務経歴に付け加えたり、まったく使ったことのないプログラミング言語を習熟していると偽るのも言語道断である。それは嘘であり、「解釈」の入り込む余地はない。
ここで私が言っているのは、職歴の「間引き」の話である。1年の勤務期間を1年半に伸ばすのは、いわば生け花におけるケンザンみたいなものである。同時に2ヵ月しか勤めなかった会社を職歴に入れないのは枝切りと同義である。芸術行為の一種である。
誰も傷はつかない。そこにあるのは主観の問題だ。繰り返すが、程度を越えた虚飾や改ざんは、ここでは扱わない。そのような度を超えた経歴の書き換えを行う者は、そもそも私が理事長を務める「全日本職務経歴創作委員会」が定める会則に違反している。具体的には以下に抵触する。
“求職者においては、職歴を書き換えるときは「これぐらいはいけるかなと思った時はいけない」「こんなもんだろうと思った時はもっといける」といった心持ちで、創作に取りかかるべし”
(全日本職務経歴創作委員会 会則第9条1039項)
では、会社側に不義理を働いているのでは?という道義的側面はどうだろうか。法律違反は問答無用にアウトだが、それと同様に道義的にも問題があるのではないかという見解だ。
逆に考えるんだ。会社もたいがいにおいては嘘と虚飾、隠蔽にまみれている。例えば求人票に書かれている給与や賞与、残業時間など嘘ばかりだ。求人票に写っている先輩社員の笑顔はまがい物だ。そこに道義的なルールなどないのだ。お互いがステロイドを売っている屈強なMMAファイターみたいなものだ。あるいはドーピングをキメ倒しているメージャーリーがバッターとピッチャーで相まみえているようなものだ。違反性などどうでも良い。そこにあるのは、人間を越えたスーパー人間たちの狂った共演だ。採用試験もまた狂った人事ととち狂った求職者の狂ったタイマンの場と言える。
かつて匿名掲示板の「村上春樹ふうに採用試験を語るスレ」のような板で下記のような秀逸な書き込みがあった。採用試験とはつまりこういうことなのだ。
“求職者「くだらないね」
面接官「くだらないさ」”
どこかの掲示板
お互いが虚偽と欺瞞をもって対峙するのが面接であり採用活動なのである。道徳や道義など出る幕はない。
嘘は世の中にあふれている
私が勤めてきた会社、特に中小零細企業においては、多くの同僚が脛に傷を持つ者たちであった。若いころ、私は何度か先輩社員に、「前職では何をやっていたのですか?」などとピュアな質問をしたことがあった。後年かなり後悔し、恥ずかしささえ感じたが、若さ故の誤りであったので赦してほしい。
彼等は一様に、本当の職歴などは開陳しなかった。ほぼすべて言葉を濁した。これがまともな会社ならば、勤めてきた業界や職種はもちろん、人によっては社名を出して、「○社に○年勤めたよ」などと教えてくれるだろう。これが中小零細企業になると、見事なまでに皆口をつぐむ。そして、その空間全体に、そんな野暮な質問をするなという空気が充満する。
私はそれで察した。職歴に彩りを添えるのは、大人のたしなみなのだな、と。
大企業や士業、会計事務所や公務員などは私の管轄外だ。私が言っているのは中小零細企業に勤める下級戦士、いつも転職ばかりしているジョブホッパー、アンラッキーにも面接にまったく通らない馬鹿正直な愛すべき求職者の話だ。
何度でも言おう。履歴書とは創作物である。脚色や作文大いに結構。換骨奪胎など当たり前。解釈と見解はふんだんに盛り込め。自由だ!
履歴書を偽らざるをえないケース
ながながと述べたが、素人さんの中にはそれでも経歴の書き換えを拒み、結句、不採用通知を収集し続けるユニークな破滅志願者がいるかもしれない。私が救いたいのはまさにそのような人だ。よって、ここではそもそも偽らざるを得ないケースを取り上げる。
- 転職回数が多すぎて忘れちゃった(嘘が書かれていてもそれを嘘だとは自覚できない)
- 転職回数は覚えているけれど全部記載すると巻物になっちゃう(人事担当社の負担軽減に寄与)
- 転職は繰り返したけど、自分の中では転職じゃないかなって思ってる(独自の解釈を大切にしてる)
- 試用期間で辞めた会社は記載する必要がないと信じている(明確なルールの規定がなされていないのだから仕方がない)
どうだろうか。自分のことかなって思った人もいるだろう。そうなのだ。自分のことなのだ。ならばやるべきことは1つだろう。
履歴書の本質的なくだらなさ
履歴書はなぜ網羅的な内容でなければならないのだろうか。学歴や犯歴をすべて記載するのはわかる。高校や専門、大学、大学院などは記載しても2つか3つだろう。犯歴に関してはよく分からないが、つらつらと書き連ねるほど犯罪を重ねている人は少ないだろう。
しかし職歴については別だ。人によっては10も20も羅列しなくてはならない。私の場合は10社だが、いちいち入社と退職で1行ずつ記載し、会社毎に業務内容などを書かなくてはならない。履歴書が何枚あっても足りない。
職務経歴書のように、何ができるか、何をやってきたか、だけをお知らせすれば事足りるはずだ。履歴を知りたいなど、出歯亀のすることだ。覗き見癖のあるスケベであると言えるだろう。
諸外国の履歴書がどのようなものかは分からないが、履歴書は抜粋でいいのではないだろうか。実際に先進的な企業の中には履歴書不要の会社も増えてきているという。
「転職回数が多い人は飽きっぽい」「転職回数が多い人は入社してもすぐ辞める」などといったステロタイプのご意見は、真に唾棄すべきものである。
辞められないためにどうすればいいのかは、企業が考えることである。転職癖のある私たちを引きとどめるために、待遇向上や福祉制度の拡充など、企業側が打てる施策はいくらでもある。今試されているのは、ジョブホッパーではなく、企業なのである。
まとめ
「職歴詐称」という言葉がそもそも間違っているのだ。職歴はそもそも本質的に作り変えられるものである。独自の解釈を加えてもよいということに、企業も求職者も気がつくべきである。
このことに批判的なのは大企業に勤めている世間知らずの保守派か20代半ば以下の若者たちだけである。彼等は現実を知らない。
働くということが残念ながら人生の大半を占めてしまうこの不幸な世界において、よりよく生きる、もしくは仕事探しで挫折しないためには、職歴の書き換えは、当然行われるべきである。大人のたしなみや人生の処世術であるのはもちろん、「死なない」ための唯一の手段でもあるのだ。