職場は地獄である。働くことは非人道的な行為である──私がかつて会社員時代に感じていたことである。フリーランスとなった現在においては、昔の私は少々厭世的になりすぎていただけなのかもしれないと、思い直すこともある。
しかし、確かにサラリーマンというのはつらい職業なのである。あるいは、つらい職場というものは存在するのである。私は今まで、会社を10回辞めてきた。退職理由の一つが「トイレ」だった。
退職は運命であり、転職は必然である
人は様々な理由で会社を辞める。若者もベテランも男も女も。私は思うのだが、会社とはそもそも辞めるためにあるのではなかろうか。
言い換えると、会社への入社は退職への第一歩なのだと。
これは不思議な話である。多くの求職者は、手間や時間をかけて仕事を探す。不幸なことに、多くのケースにおいて、投下した時間や手間、努力などに見合った「内定」は得られない。
数を打っても、まったく当たらず、仕事が決まらない、転職先が決まらないということは往々にしてある。
努力が結実して晴れて新しい仕事が決まり入社して働いても、私の論によれば、それは退職への入り口に過ぎないのである。退職日へ向かっての、助走である。
働き手というのは、退職というカタルシスへ向かう、悲しき殉教者であり、破滅論者なのである。
しかしそれでいいと思う。
仮に職場が安住の地であれば、そこにとどまればいい。そういった場所が見つかったのならば、ラッキーだ。多くの働き手はそのような場所を見つけることができない。一生できない。だから転職するのだ。
転職がそもそもの前提であることを自覚すべきだ。であればこそ、転職を恐れてはいけない。私は恐れずに9回も転職した。
悪くないサラリーマン人生だったと思う。現在はしがないフリーランスだが、そろそろ収入が怪しくなってきた。これから再就職だって視野に入れている。むろん、退職込みの転職だ。
トイレ問題を侮ってはいけない
退職があらかじめ決められた運命であっても、最終的には「理由」なり「原因」があるものだ。もちろん、それとてきっかけに過ぎない。大抵の場合、上司に対する建前だ。
薄給やパワハラ、仕事が合わない、仕事が嫌いなど種々雑多な理由が挙げられるだろう。すべてとても素敵な理由だと思う。
同時に、それ自体には何ら意味はない。価値はない。繰り返すが、退職は就職した日からすでに決められた慶事だからだ。
私がいままで辞めてきた10社のうち、最終的な「退職理由」はなんだったのかと問われれば、ひとまず、「トイレ」と答えるだろう。
これは、多くの離職者にとっても、身に覚えがあるはずだ。トイレが○○だから会社を辞めたという、アレだ。
「トイレ問題を笑うものはトイレに泣く」ということわざを一度は聞いたことがある人もあるいはいるかもしれない。私はないが。
トイレを巡る問題には下記がある。
- トイレが汚い
- トイレ掃除をしなければならない
- トイレのために離席するのが気まずい
- 放屁の音が執務室にとどろく
- トイレと執務スペースが近すぎて脱糞しづらい
- トイレに入っている時間が長いとあだ名が「うんこマン」になる
- トイレが清潔過ぎて、陰毛一つ落とせない
- トイレが男女共用で恥ずかしい
- トイレの備品を自分で購入しに行かなくてはならない
いずれも極めてクリティカルな問題である。控えめに言っても、人類の10%ぐらいはトイレ問題に直面し、思い悩んだあと、泣きながら退職届を書いた経験をもっていることだろう。おそろしい話だ。
一方で、「自分はトイレ問題など知らぬ」という人もいるかもしれない。そのような人は逆に、他者を退職に追い込む極悪非道な人間であるという自覚を持ってもらいたい。
たとえば糞の臭いを消臭せずに放置したあげく、次の人が入室。臭すぎて泣きながら退職、のような流れだ。
会社は放っておいても辞める場所である。しかし辞めるタイミングは自分で決めたい。トイレ問題に無頓着な人による、「トイレハラスメント」で辞めさせられた人の身になって考えてもらいたい。
彼/彼女は次の職場を決める際の面接で答えなくてはならない。
「前職を退職した理由ですか? 同僚のウンコが臭かったからです」
私が面接官ならば、
「なるほど、お辛い思いをされたのですね。弊社なら、全従業員が特殊な訓練を受けているので、尿や便はすべてラベンダーの香りがするので、心配ご無用ですよ」
と言うだろう。
私は「自由に排尿・脱糞できない会社」を辞めたことがある
私はかつてトイレ問題で会社を辞めたことがある。33歳の8月のことだ。そのときのことをここで紹介したい。
女性だけの会社でトイレは共用のものが1つ
私が8社目に勤めた会社は編プロだった。社員は女性3名に私(男性)、それに女社長。つまり私意外すべて女性の職場だった。そしてトイレは、室内にある共用のものが1つ。
これは極めてきつい環境である。ほとんどの場合、トイレは外で済ました。むろん、大を会社のトイレでするような自殺行為はしなかった。しかし小水は社内ですることが多かった。運良く、そのトイレには男性用の小便器があった。
しかし、これにも負の側面があった。というのも、個室のトイレは男女が使うものだが、小便器は男性である私のみが使用する、いわば専用トイレだった。だが、掃除の担当者は個室トイレ、小便器、床、洗面鏡などとすべて清掃する必要があった。
個室トイレであれば、誰が汚したかわからないが、小便器を汚した場合、戦犯は自ずと私に特定される。この場合、汚すとは、染みであり陰毛である。
陰毛でヒヤリハット
私はその会社を2カ月で辞めたが、在籍期間中は、小用のたびに神経をとがらせた。
使用後は、小便が周囲に漏れていないか、小便器の枠や足もとを注視した。陰毛は散乱していないか、目を皿にしてあたりを探った。時には、そうした汚れを目にすることがあった。そのときはトイレットペーパーで汚れを拭き、毛もペーパーで包み、トイレで流した。
それはとても気の滅入る作業だった。
そして決定的なことが起きた。
ある日、小便器を使い、あたりを清掃し終わった。足もとに汚れはない、便器のフチも綺麗だ。万事問題なしと思って、ふいに、小便器の「流すボタン」が目に入った時だ。小便器のてっぺんに陰毛が1本落ちていたのだ。なぜここに?と私は周章狼狽した。
考えられるのは、「流すボタン」と押したときに、指に絡んでいた陰毛が落ちたという可能性だ。
このスペースは本来小便もその他汚れも付着しない、いわば空白地帯。このときはたまたま気がついたからよかったものの、もしこのまま放置していたら、次回の掃除当番がこれを見つけることになる。
この会社には2人のベテラン編集者がいた。いずれも極めて神経質そうな女性だった。彼女らが、私の息子の毛を発見していたら、おそらく私はその後極めて厳しい社会的な制裁を受けていただろう。
当然の帰結としての退職
彼女らが、その事実を自らの胸の内にとどめておいてくれるはずがない。確実に公にされていたはずだ。そうなると、私は毎日恥を抱えて会社に行くことになる。神経過敏になりながらトイレに入ることになる。業務中も私の精神は不安定なままだ。
退職するのも道理である。
会社は地獄なのである。
まとめ
人は退職する生き物だ。
そして、その最終的なきっかけになる要因のひとつが「トイレ」だ。私たち求職者にできることと言えば、面接時にできる限りトイレをチェックすることだけだ。
もちろん、掃除当番やその会社特有のトイレ事情は入社しなくてはわからないことがほとんどだ。為す術がないかもしれない。
しかし、最低限、面接時にトイレを借りよう。できれば、脱糞もしたいところだ。そうすれば、トイレの綺麗さや臭い、便座の暖かさや、ペーパーの芯がカランコロンと立てる時の音量などは確認できる。
これは入社を決める際の重要な指標になる。たとえ、未来の同僚から「面接の時にうんこした人」と思われたとしても。